2007年8月21日火曜日

なぜ、アニメミュージアムか?

NPO
アニメミュージアムの会

はじめに                         
 戦後アニメーションの発祥地である練馬の地にアニメーションミュージアム(アニメミュージアム)を創ろうという私たちの運動は、この夏(2001)で12年目を迎えます。私たちアニメーションミュージアムの(アニメミュージアムの会)は、練馬区に、練馬ゆかりのアニメーションやマンガ文化を大切にして欲しいと願い、その象徴的存在としてアニメミュージアムの設立を提案しています。会はその主旨を、1999年の12月に「アニメーションミュージアムとまちづくり」にまとめて発表しました。 2001年、(株)スタジオジブリ肝いりの「三鷹市立アニメーション美術館」通称「ジブリ美術館」が10月に開館の運びとなりました。一方、東京都や杉並区がアニメーションを地場産業と位置付け、アニメの振興と町づくりを結びつける動きが顕著になっています。こうした動きは、私たちの提案が夢物語でないことを証明するものです。
 アニメーションを地域の活性化と結びつける機運が高まっているなかで、私たちも運動を飛躍させ、ミュージアムの設立をより具体的なものにしたいものです。

1、切実なミュージアム
 アニメミュージアムの必要性について、私たちは次のように考えます。

 第一は、戦後のアニメーションの世界を切り開いてきた作家や技術者の方々が高齢になり、定年退職を迎え、あるいは病に倒れ、あるいは亡くなる方などが増え、それぞれが個人的に所有するアニメの文化財が行き場を失いつつあり、救済が必要になっていることです。

 第二は、アニメ業界がコンピューターによるアニメ作り(デジタル化)により、これまでのセルとフィルムによる制作が衰退し、数々の名作を生み出してきた彩色着色の用具から、カメラと撮影台、編集機材などが不要なものとなり、その多くが廃棄処分される運命を迎えています。その全てを保存するのは無理ですが、歴史的にも貴重な機材を選定し、喪失する前に収集し保存する手だてが急務となっています。

 第三には、長年に渡ってアニメーションを制作し続けているプロダクションには、セル画やフィルムを始めとするさまざまな文化財が蓄積し、零細な経営ではその収納と保存に頭を悩ますことが多く、手に余るものをプロダクションに変わって預かり保存する施設が必要となっていることです。

 第四に、日本を代表する文化となった日本のアニメーションですが、その全体像を紹介する施設がない一方に、「アニメを勉強したい」と修学旅行の時に都内のプロダクションを訪問する中学生や高校生がいます。また、日本のアニメやマンガに関心を寄せる若者たちが、韓国、アメリカ、フランスなどから来日する例が年毎に増えています。こうした人々に、日本のアニメやマンガの全体像を紹介できる施設が必要となっています。

2、どんなアニメミュージアムなのか
 アニメミュージアムの会に参加する会員はさまざまです。
 会員の中心はもちろん練馬区民ですが、その階層はさまざまで、小中学生から家族ぐるみでの参加もあります。他に、教師、学生、婦人、区職員、そして練馬区議会各会派の議員や区内のさまざまな団体が参加しています。もちろん、アニメーターや演出家や背景美術家、声優、そして製作者や経営者。区内外のアニメ関連業界団体も参加しています。会員それぞれが、アニメミュージアムヘの夢と期待を膨らませて持っています。会員以外の方々からの希望も寄せられています。その思いをまとめると次のようになります。

 私たちのアニメミュージアム

1、アニメーションのフィルムや、CG(コンピューターグラフイクス)をふくむアニメに関連する文化財を収集し、その保存や修復ができ、展示や活用できる場所であること。
2、アニメーションと深い関連のある、マンガ文化をも大切にするミュージアムであること。
3、子どもから大人まで、マンガや動く絵を描いたり、音声を吹き込んだり、コンピューターでのアニメづくりなど、見て、さわって、体験しながらアニメーションの過去と現在と未来について楽しく学べ、映像教育やメディア・リテラシーの実践できる場所であること。
4、大小のホールやレクチャールームなどがあり、国際的なアニメーション映画祭などが開催できる設備を備えた場所であること。
5、アニメーションやマンガに関する専門書の図書館と、ビデオやフィルムのライブラリーがあり、希望者には貸し出しを行い、読書室や視聴覚コーナーやシアターを持っていること。
6、世界のアニメーションやマンガの最新情報を得られる場所であること。
7、アニメーションやマンガやCGのクリエーターを養成する工房や、アニメーションやマンガについての専門的な知識を学べ、映像文化を主体的に活用できる人材を育成する教育機関を併設し、たえず未来を見つめたアニメミュージアムとすること。
8、アニメミュージアム関連商品の販売ショップがあること。
9、専門家と市民が共同でつくり、市民参加で運営できるミュージアムであること。

3、子どものためのアニメミュージアムを 
 A、ハンズ・オン型ミュージアムを
 アニメミュージアムに寄せられる夢や期待は大きくさまざまですが、私たちがこれまでの活動を通して改めて大切にしたいと思っているのは、子どもの文化としてのアニメやマンガとの視点を重視し、設立されるミュージアムは「子どもたちが楽しく遊び学べる空間であって欲しい」との考えています。
  大人の身勝手で、古くいかめしい文化財が居並ぶミュージアムではなく、子どもたちを主人公にして解放する空間であって、子どもたちが知的好奇心を輝かせ、見て、触れて、試して、作って楽しめる「ハンズ・オン(触れて体験できる)型」のアニメミュージアムであるべきだと考えます。                                     
 B、メディア・リテラシーのミュージアムを
 私たちは、アニメミュージアムが子どもたちが親しみやすいさまざまな映像メディアの機器や作品が収蔵、展示されるミュージアムであることを(将来)を活用して、積極的な映像教育、メディア・リテラシーを実践できる空間であって欲しいと考えます。
 アニメーションやマンガは、子どもたちに多大な影響を与える文化です。そのため、ときとして子どもたちの荒れや非行の要因と疑われ勝ちです。しかし、アニメやマンガなどを含む映像の積極面を生かして、子どもたち自身が上手に活用できるようにサポートすることが大切です。
文部科学省は次世代を担う子育てを進めるために、地域の博物館や美術館を子どもたちに積極的に提供するよう呼びかけています。また、文部省科学省は映像メディアを批判的に読み取り主体的に活用できるように子どもたちを育むメディア・リティラシーの実践を提唱しています。
 イギリスの動画博物館は、子どもたちのメディア・リテラシーのためのカリキュラムやテキストを作って全英に提供し、メディア・リテラシーのセンター的役割を果しています。

4、パブリックなアニメミュージアムを
アニメーションは、いうまでもなく集団的な創造作業です。
 一つの作品の制作を、二十種にも及ぶ職能の技術者集団が支えています。著名な作家や監督やアニメーターは、そのほんの一部でしかありません。著名な監督たちを無名の人々が支え、無名とも言える作品群が一方にあって偉大な作品の底座さえをしています。ゆえに、人も作品も文化財も、有名か無名かに関わらず大切にする姿勢が大切です。私たちが目指すアニメミュージアムは特定の作家や企業のものではありません。日本のアニメーションやマンガ文化を築いてきた人々とその作品群や文化財を大切にするミュージアムです。それゆえに、それはパブリック(公的)な存在で、国や都や区などによる公立が望ましいと考えます。

5、練馬にアニメミュージアムを
 私たちは、アニメミュージアムの設立場所は「アニメーションやマンガと縁の深い練馬に」と、考えています。そもそもこの運動は、練馬の東大泉にある東映アニメーション(旧東映動画)と富士見台にある虫プロダクションに働く人たちの提案から始まりました。
 東映アニメーション(旧東映動画)のスタジオは、東映の故大川博氏が日本のデイズニーを志して、1956年に東大泉に創立。日本初の長編カラー漫画映画「白蛇伝」をはじめ、数々の名作アニメーションを産み出した所として有名です。
 虫プロダクションは、1961年に手塚治虫氏が創立し、日本初のテレビアニメシリーズ「鉄腕アトム」を制作した場所として世に知られています。
 いま、日本のアニメーションは国際的に活躍し、日本を代表する文化として世界から注目されています。高畑勲、宮崎駿、りんたろう、杉井ギサブローなどなど。現在、第一線で活躍する著名なアニメーション監督や作家の多くは、この二つのスタジオから巣立ちました。
 練馬区は、戦後日本のアニメーションのふるさとです。
 アニメーションの制作会社は、97年度の新映像産業白書(通産省作成)で見ますと全国に310社。その78.6%が東京に集中し、しかもその21パーセントが西武池袋線沿いに集中しています.練馬区にあるアニメプロダクションは現在60社(2001年)と、都内で最も多く、アニメーションは練馬の地場産業です。また、故手塚治虫さん以来、アニメーションとは切っても切れない関係にあるマンガ家のちばてつやさん、松本零児さん古谷光敏さんなどの著名な漫画家の方々が多数居住し創作活動を瞬けているのも練馬です。
 アニメーションの総合的なミュージアムを作る場所として、練馬の地がもっともふさわしいと私たちは考えます。

6、アニメミュージアムとまちづくり
 アニメミュージアムは、活用する側の姿勢ひとつで多様な価値を引き出すことができます。その魅力を最大限に生かすことができれば、そこに集う人々を対象にした新たなまちづくりを試みることができます。
 たとえば、駅からミュージアムにいたる道路をミュージアムヘのアプローチ・ロードと位置付けて、アニメやマンガ、映像作品関連商品の販売とそこに集う人々を対象にした商店街の開発。また、販売する商品の開発と生産関連事業の振興。特に、アニメーションやマンガや映像づくりに関連する事業所や作家たちと、区内の商店街や市民を結びっけて、それぞれのアイディアや能力や情熱を生かしたまちづくりを進めれば、練馬区は他に類を見ないユニークで多彩なまちづくりが可能となるのではないでしょう
か。 さまざまな機能と役割を併せ持つアニメミュージアムを、まちづくりとの関連で、どのようにつくるのか。その面でもさまざまなアイディアが生まれています。

タイプ1)一極集中型アニメミュージアム
 たとえば、練馬駅北口などの空間を生かして大きなミュージアムを建て、 に収蔵庫、シアター、展示スペース、ライブラリーなどミュージアムの全ての機能をその中に集中させる作り方。川崎市民ミュージアムや都立写真美術館、都立江戸東京博物舘などに代表されるタイプです。
 日本各地に見る一般的なミュージアムの姿で、交通の便の良さや駈車場のスペースなどが、集客条件を大きく左右します。一箇所に集中していることから、管理や運営も利用者にとっても効率がよいということができます。しかし、ミュージアムに訪れた見学者が町に出ず、そのまま帰ってしまう可能性が大きく、見学者を町の中に誘うには近隣の商店街などと協力して、ミュージアムへのアプローチロードなどを魅力的なものにする工夫が必要です。

タイブ2)分散型アニメミュージアム
 たとえば、町のA地点とB地点とC地点をつなぐ要所に、ライブラリー館、展示館、シアター、歴史館、手作リアニメ館、工房、マンガ館などのテーマ舘を分散し、その間に民間の土産店やレストランや喫茶店を配置し、地域全体がテーマパークとしてアニメミュージアム的機能を分担、補完しあう方法です。     

 例としては、滋賀県長浜の黒壁づくりや小樽の運河活用のまちづくりが代表的です。
  テーマ館相互の魅力ある企画展はもちろんだが、活気あふれる市や祭の雰囲気や温もりのある町が集客能力を高めます。地域市民が主体的に参加し、ミュージアムの運営やまちづくりへの積極的な参加が土台となります。大規模な開発がなくとも、従来の商店街の通りや裏通りなどを工夫しながら活用し、地域や商店街の空きスペース(旧家や倉庫や空き地)などを活用した小さなテーマ館が可能です。見学者は多様なコース選んで楽しめますが、機能が分散するために多くの市民の参加が欠かせません。

タイブ3)広場型アニメミュージアム
 一極集中型と分散型の中間の方式ともいえます。
ヨーロッパの都市にある、広場を中心にしたまちづくりを想像して下さい。ある空間の中心を広場とし、その周辺にアニメーション、マンガ、CGなどの工房や展示舘やシアターなどを配置し、広場とその周辺一帯をテーマパークとして、見学者は自発的に見学コースを選択し、民間の土産店や飲食店も肩を並べて見学者を迎えます。広場を休息と交流の場所として活用することができます。
 この場合でも駅が近いことや、大きな駐車場の有無が集客を左右します。地域が限定されるために、運営、見学者ともに効率が良く、まちづくりにも一極集中型よりは地域社会に貢献する度合いが高いといえます。問題は、一極集中型より広い空間を必要とし、従来の商店街や町並みを活用することが難かしいことです。
 
 以上ですが、実際に設立する場合は地域環境や条件に応じて、それぞれのタイプの利点を組み合わせて活かす姿勢が大切となるでしょう。


7、市民参加で国際交流のステージに
 広島のアニメーション・フエステバル、大分湯布院の映画祭、山形のドキュメント映画祭などは、市民参加で映画祭を成功させていますが、映像文化を中心にすえたイベントは国際交流にも大きな役割を果たし、その町の存在を世に知らしめて地域社会のイメージを一新させることに大きく貢献しています。アニメミュージアムが誕生すれば、そこをキーステーションにして国内外のさまざまな博物館や美術館との交流が生まれ、共同での巡回展なども企画開催できるようになります。また、数百名規模のキャパシティー(座席)を持つシアターと会議室があれば、国際的なアニメーション映画祭や児童映画祭や、子どもたちが作ったアニメ作品や映像のコンテストの開催などもできるようになるでしょう。

 以上が、私たちが提案していますアニメミュージアムの構想です。まちづくりに関しては、あくまでも私たちの夢でありその可能性を描いたものです。みな様方のご意見をお待ちしています。
                                                                              (この提言は、2001年8月にNPOアニメミュージアムの会(当時は、“アニメーションミュージアムを創る会”)が発表した「なぜ、アニメミュージアムか?」に若干補筆訂正したものです。)

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